平成24年8月号 ビートルズ
ロンドン・オリンピックが開幕して、テレビも新聞もオリンピック一色だが、メジャーリーグファンの私としては、やはり気になるのはこの人。さすがにシアトルのトップスターとして長年緊張を強いられた疲れからか、去年は年間200本安打を達成できず、今年も打率は低迷しているが、ここで心機一転、もう一度ヒットメーカーぶりを発揮してほしい。
幸い、移籍後は毎試合でヒットを打っているし、7月30日の試合ではメジャーリーグ通算100本目のホームランを打っていて、調子がいい。今度は常勝球団ニューヨーク・ヤンキースなので、イチローのヒットでワールドチャンピオンの座をつかむのも夢ではない。
そして、もう一人、気になるのがこの人。
そう、ゴジラこと松井秀喜選手。
5月29日にメジャー昇格した最初の試合でホームランを打ったりして「ゴジラ復活」とばかりに喜んだが、その後は凡打を重ね、結局、タンパベイ・レイズから戦力外通告を受けてしまった。
もう一花咲かせてほしいと思うが、膝のけがを抱えているし、もう無理なのかな。
ニューヨーク・ヤンキース最後の年の2009年、ワールドシリーズMVPを受賞したときのような活躍をもう一度見てみたい気はするが。
さて、ロンドン・オリンピックに戻る。
ポールは最後の最後に登場した。導入も「アビー・ロード」に収録されている「ジ・エンド」の最後のフレーズ。
ピアノを演奏するポール・マッカートニーをアナウンサーが紹介したあと、ポールはおもむろに「ヘイ・ジュード」と歌い始めた。
この曲は、ジョン・レノンと最初の妻シンシアが離婚するとき、当時5歳だったジョンの一人息子のジュリアンがあまりに落胆していたので、ポールが彼を元気づけるために作ったもの。
ジュリアンに気遣うほど気の優しいポールのことだから、参加した選手たちに「成績が悪くてもくよくよするなよ。自分だけが国を背負っているわけではないのだから」という励ましのメッセージを送ろうとしたのだろうか。
ちなみに、2005年のNFLスーパーボウルのハーフタイムショーにポールが出演したときには、「ドライブ・マイ・カー」「ゲット・バック」「リブ・アンド・レット・ダイ」「ヘイ・ジュード」の4曲を演奏している。
このうち「リブ・アンド・レット・ダイ」だけはウィングスのときの曲で、「007死ぬのは奴らだ」のテーマソングになっている。
007はイギリスが舞台だし、盛り上がる曲なので、もしかしたら演奏するのはこの曲かな、と思っていた。
でも、やっぱり「ヘイ・ジュード」は誰もが知っている曲だし、後半はみんなで合唱するにはちょうどいいので、落ち着くところに落ち着いたのだろう。
それに、最後にポールが「ウェルカム・トゥ・ロンドン」と言っておきながら「ゲット・バック(帰れ)」はないだろうから。
前置きが長くなったが、今月はビートルズにちなんで「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」のドラムセット。
食玩のドラムパーツを集め、バスドラムに同名のCDのおまけを貼ってみたらピッタリの大きさだった。
下の写真の切り抜いてあるところが、バスドラムに貼り付けた部分。アルバムのジャケットの真中にも「サージェント・ペパーズ」のバスドラムがある。
下の写真は上から見たところ、椅子の上にはスティックを置いてみた。
ポール・マッカートニーといえば、1990年3月の来日公演のことを思い出す。
1990年には、ようやく初来日を果たしたローリング・ストーンズのコンサートにも行ったので、立て続けに1960年代から活躍している大物ロック・スターを目の当たりにすることができ、夢のような心地であった。
特にポールの方は、1980年に来日することが決まった時、チケットの発売初日に朝からプレイガイドの前の長い列に並んでチケットを買ったのに、大麻所持で強制送還させられコンサートが中止になったという苦い思い出があったので、感慨深いものがあった。
1990年は、バブル経済の好景気が続いていて、お金を出すスポンサーには事欠かなかった。
そのため大物バンドを難なく日本に招へいすることができたのだ。
バブル経済がいいとは思わないが、あのころの、明るく、にぎやかで、きらびやかな日本をちょっぴりなつかしく思う。
寄る年波にも負けず、あらんかぎりの声を振り絞ってシャウトしていたポール・マッカートニーの姿を見ていたら、いろんなことが頭の中に浮かんできた。
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