2020年5月3日日曜日

平成26年1月号 狩野永徳

平成26年1月号  狩野永徳


あけましておめでとうございます。
昨年1年間、ご愛読ありがとうございました。
今年も楽しい企画を考えていますので、引き続きご愛顧のほどよろしくお願いいたします。



さて、去年の1月号が長谷川等伯だったので、今年はライバルの狩野永徳(1543-90、天文12年~天正18年)。
桃山時代に活躍した永徳は、戦国大名たちの趣味に合った豪華絢爛な画風で一世を風靡した。
下の写真は、織田信長が上杉謙信に贈ったと伝えられる「洛中洛外図屏風 上杉本」(狩野永徳筆 米沢市上杉博物館所蔵)。



この絵はがきは、5年前(2009年)にサントリー美術館で開催された「天地人-直江兼続とその時代」展で購入したもの。
その2年前(2007年)に京都国立博物館で開催された「狩野永徳」展では人が多くてじっくり見ることができなかったが、
このときは夜に行ったこともあり人が少なかったので、屏風の前を行きつ戻りつ、
「手前は三十三間堂で左奥が清水の舞台だ」とか、


「これは祇園祭の山鉾巡行で、手前が船鉾だ」とか、


言いながらじっくりと眺めていたら、あっという間に1時間が過ぎてしまった。

しかし永徳は、時の権力者、織田信長、豊臣秀吉の寵愛を受け、狩野派一門をあげて安土城、大坂城、聚楽第などの障壁画に取り組んだばかりに、権力者の没落とともにその絵の大半は城とともに灰燼に帰してしまった。
当時の記録によると、安土城内は金箔の障壁画で埋め尽くされていたという。
今となっては見ることができない安土城の障壁画に思いをはせ、安土城とともに記念撮影。



安土城は、「天下の覇城」シリーズ。左がノーマルバージョンで、右が赤瓦バージョン。

永徳は、亡くなる一か月前、嫡男の光信、弟の宗秀を伴って、勧修寺晴豊を訪れ、「はせ川と申す者に内裏の対屋の襖絵を描かせることにしたのは、迷惑である」
と申し入れをして、当時、狩野派に対抗できるほどの実力をもっていた長谷川等伯の追い落としを図った。
等伯ファンの私としては、永徳も随分と性格が悪い、と思ったが、当代随一の人気絵師というだけでなく、狩野派という絵師集団の棟梁として、一門の隆盛のためには当然のことだったのであろう。


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