2020年8月22日土曜日

平成26年7月号 大判小判がざっくざく(戦国時代編)

平成26年7月号 大判小判がざっくざく(戦国時代編)


今回は、去年4月以来久しぶりの大判小判シリーズ。
テーマは大河ドラマ「軍師官兵衛」にちなんで「戦国時代編」。
(左下は、大きさの比較のために置いた現行の一円玉。)



まずは官兵衛が仕えた秀吉が造った大判から。
前列中央の2つの大判は、右が「天正菱大判」、左が「天正長大判」。



「天正菱大判」は、大判の上下にひし形の桐極印があるので菱大判と呼ばれている。
「天正長大判」は、菱大判より上下が長いので長大判と呼ばれ、長さ17.5cm、幅10.2㎝で、世界最大級の金貨として知られている。実際にはこの約3倍の大きさがあったので、さぞかしずしりと重たかったのだろう。

天正大判が最初に鋳造されたのは天正16年(1588年)。

世界最大級の金貨は、この年の4月に時の後陽成天皇の聚楽第行幸を実現させ、絶頂期にあった秀吉の権勢ぶりを象徴しているように思える。

「官兵衛」は次回(7月12日)の放送が「本能寺の変」なので、秀吉はまだ天下を取る前だが、そのうちにピカピカの天正大判にもお目にかかれるのだろうか。

後列の中央は豊臣氏により造られたとされる唯一の小判(江戸時代の鋳造との説もあり)通称「太閤円歩金」(実物大)。



次は、年代が少しさかのぼって、上杉氏と武田氏の大判対決。
前列の左端は「上杉牛舌大判」。
長尾景虎(上杉謙信)が、領国越後だけでなく、越中、加賀、能登までを勢力下に治めた、やはり絶頂期に鋳造させたものだ。
それにしても、謙信はなぜ金貨を楕円形でなく牛タンのような形にしたのだろうか。



前列の右端は、「武田菱小判」(実物大)、後列の右端は「甲州大判」(実物の約2/3 牛タン型の上杉大判に対して、甲州大判はまん丸い!)、上の写真の左端は「甲州金」(実物大)。




甲州は戦国時代には金の生産が盛んで、甲州金という独自の貨幣制度が成立していた。
一両の四分の一が一分、一分の四分の一が一朱、一朱の四分の一が四糸目といった具合に四進法になっていたこの制度は、江戸幕府の貨幣制度に受け継がれていった。
この貨幣制度のもとで造られた金貨「甲州金」はわが国初の額面表示金貨。
武田氏が滅亡後した後も、甲州金は江戸時代後期まで甲州で流通していたというから、これぞ戦国時代を生き抜いた金貨と言えるであろう。



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