平成25年10月号 大空のサムライ
子どものころ、家にあった少年少女向けの偉人伝シリーズの中に、野口英世やジョン・F・ケネディと並んで坂井三郎の伝記もあって、夢中になって読んだ記憶がある。特に、敵飛行場の上空で曲芸飛行をやって、それが敵からの電報でほめられたので上官にばれてしまったことや、目を負傷した後、麻酔もなしで鉄の破片を取り除く手術をした場面は特に鮮明に覚えている。
その伝記が坂井三郎の著書『大空のサムライ』をベースにしていることが、あとからわかった。
文庫になった『大空のサムライ』(光人社NF文庫 2003年)をあらためて読んでみると、まるで、若者がさまざまな経験をして人間的に成長していく過程を描くドイツの教養小説(Bildungsroman)のような面白さを感じた。
佐賀の田舎から出てきた青年が、厳しい訓練に耐え、数々の戦いを勝ち抜き、零戦のエースパイロットに登りつめ、さらには負傷して復活するというストーリーは、まるでヘルマン・ヘッセの『デミアン』だ。
『大空のサムライ』は国の命運を賭けて戦った青年の壮大なドキュメンタリーである。
次はどういった展開になるのか、わくわくしながら1枚1枚ページをめくり、あたかも自分がその場にいるかのような臨場感を味わいながら読み進んでいった。
教官が同乗する初飛行の場面では、自分でも操縦桿を握り、足にフットバーをかけているつもりで自然と体が右に左に動いたり、飛行場が爆撃される場面では思わず空から降ってくる爆弾を避けるそぶりをしたりもした。
ところで 敵飛行場上空での曲芸飛行は、昭和17年5月27日のこと。
当時、ラエに進出していた台南航空隊は、米豪の反攻拠点ポートモレスビーに連日のように出撃していた。
その日は大した空戦もなかったので、以前から示し合わせたとおり、当隊きっての古強者の西沢一飛曹、太田一飛曹と編隊宙返りを敢行した。
その間、対空砲火の反撃はなかった。坂井は、「茶目気の多い米兵たちには、この大胆きわまる冒険が、案外、気に入ったのであろう」と書いている。
坂井三郎搭乗機勢揃い。
右2機は、エフトイズの1/144ウィングキットコレクションvol.1の零戦二一型。
一番左は、零戦の後継機として開発されたが制式採用まで至らなかった「烈風」の台南航空隊の塗装バージョン。
これは、1/144ウォーバードデスクコレクション「if」のシークレットで、もちろんフィクションだが、坂井三郎が「烈風」を駆使していたらさぞかし強かっただろう、と想像してしまう。
同じスケールなので零戦との大きさの違いもよくわかる。
出撃直前の坂井一飛曹
飛行シーン
「烈風」
こちらは童友社の1/100翼コレクション